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鳥取県江府町観光PRツアー

≪鳥取県江府町≫500年以上続く江尾十七夜の町を歩く

江府町
鳥取県江府町の中心ともいえる江尾。
日野川に小江尾川と舟谷川が合流した盆地に町があります。ここを軸に日野川が海老のように大きく曲がっていることが、”えび”の地名の由来と言われています。鎌倉時代から戦国時代までは、江美とも書かれていました。
また、江府という地名は、日野川(江)に小江尾川と舟谷川など支流が集まることから、川の集まる中心地(府)という事が由来と言われています。
江府町の人口は3,000人ほど。

江府町
JR西日本伯備線の江尾駅があります。
江尾駅の中には今年4月に鳥取県初の公営学習塾(江府いもこ塾)が開講し、中学3年生が数学と英語を勉強しています。
公営学習塾ってはじめて知りました。

江府町
列車は1時間に1本ほどですが、最終は22時58分とかなり遅くてビックリしました。

江府町
江尾駅でガイドを務めてくださる手島さんと合流しました。
長年教師として子どもたちを指導してきた手島さんは、現在観光協会や江府町文化協会で江府町のために働いています。
一緒に江尾の町を散策しました。

江府町
幕末まで宿場町として機能していた江尾の町並みは、蔵造り、平入り、妻入りなどの多種類の建物があります。

江府町
写真真ん中の建物は診療所です。
山の後ろが三日月のように削れている場所は、毎年8月17日に行われる「江尾十七夜」で火文字が灯る場所です。
「江美十七夜」については後で詳しく紹介します。

最初に見学に向かったのは江美城です。
江美城の”び”の字は美です。

江美城
1484年(文明16年)にこの地の国人・蜂塚安房守が築城し、二代三河の守(みかわのかみ)・三代丹波守(たんばのかみ)・四代右ヱ門尉(うえもんのじょう)と蜂塚氏一門が四代にわたって居住したという。
その後1524年(大永4年)の尼子氏の伯耆侵攻(大永の五月崩れ)に伴って、尼子氏の支配下に入った。江尾城のある一帯は米子と美作国を結ぶ水陸交通上の要地であり、長く尼子氏と毛利氏による争奪戦の舞台となった。蜂塚氏は尼子氏に属し、よくこの城を守ったが1564年(永禄7年)8月8日に毛利方の将・杉原盛重の猛攻を受け、4代・蜂塚右衛門尉は一族とともに自刃し落城する。
以後、江尾城は毛利氏の支配するところとなり、近世城郭へと改造されて慶長年間まで存続していたと見られる。なお、1617年(元和3年)の史料によれば、吉川氏家臣の佐々木四郎太郎が城番として置かれていたようである。(wikipediaより一部抜粋)


江府町
急な坂道を上り、江府町歴史民俗資料館に向かいます。


江府町
城の西端、八幡丸には、櫓をかたどった江府町歴史民俗資料館があります。
見学は無料ですが、事前に役場へ連絡が必要です。

江府町
資料館の中には1997年(平成9年)に行われた発掘調査で見つかった金箔鯱瓦や桐葉紋軒瓦が展示されています。

江府町
金箔鯱瓦は広島城大天守や岡山城天守、松本城大天守など豊臣恩顧と呼ばれる大名や有力な大名の一部の居城の天守でしか見つかっておらず、山陰では江美城がはじめての発見で、重要かつ大規模な城として位置づけられていた証拠となります。
金箔鯱瓦は毛利氏支配の頃のものと考えられており、この当時の城主は吉川氏家臣の佐々木四郎太郎が城版として置かれていたという記録はあるようですが、実は今もハッキリとわかっていないと手島さんがボソッとつぶやいていました。
金箔鯱瓦が許される謎の城主…
こういう歴史の謎って、NHKの少年ドラマシリーズを見て育った世代にはツボだわ(笑)

江府町
あぁ、でも見つかったときはこんなにピカピカしていたのに、今は金箔がほとんどはがれているのが悲しい。

歴史民俗資料館を出た後は本丸に向かいます。
江府町
まるで獣道のような道をのぼり

江府町
頂上に上ると

江府町
一面の白いそばの花の上に浮かぶように本丸の城壁がありました。
既に本丸はありませんが、城壁だけ残っているんです。

江府町
城壁の側まで行ってみたかったのですが、時間がなくて遠目で見るだけでした。
(写真は望遠レンズを使用)

さて、江尾十七夜。
戦国時代、蜂塚一門が城主だった時代。盂蘭盆十七日の夜には城門を開放し、町民や農民たちが自由に場内出入し、盆の供養と豊年を祈る踊りと相撲で一夜を明かしていました。この日は武士も町民も農民も、全くの無礼講で楽しく過ごしていたそうです。ところが、四代城主峰塚右衛門尉の永禄8年8月6日(1565年)に毛利方三千の大軍を迎え討ち、右衛門尉は自刃、蜂塚一門も全員討死してしまいます。城下の住民達は、悲しい運命に果てた城主を慕い、毎年盆の17日の夜を供養踊りに踊り明し、今に伝えているのが江尾十七夜です。


江尾
江尾十七夜の写真を奥大山物語のサイトで見つけたので転載します。
>>http://www.town-kofu.jp/kanko/15/3/
十七夜の火文字が山に浮かび、横には花火があがります。
舟谷川には無数の灯篭が並び、500年前から続くこだいぢ踊りを踊ります。

人口3,000人の町ですが、この日は8,000人以上の人が江尾に訪れるそうです。

これは見てみたいわ~。
江美城の側には江美神社もあります。
江府町

境内には相撲の土俵も(^^)
江府町

ここで相撲を楽しんでいたのでしょうか…

江府町
本殿の前にあった鉄の龍。
戦時中、金属供出で回収が決まったのですが、前日に戦争が終わり、今も残っています。
そのことから、勝負ごとにご利益があると言われ、受験生が合格祈願にくるそうです。

江尾のマンホール(^^)
江府町
大山と上之段広場にある鐘、アヤメが描かれています。

バスには江尾十七夜が描かれていました。
江府町

時間が止まったような町でした。
出来ることなら、ずっとこのまま、変わらずにいて欲しい町です。

江府町 INDEXはこちら
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